【プレスリリース】創業から44年。時代と共に移り変わる事業と、何があっても変わらない『お客様の課題解決を一番に考える』ということ。

創業44年を迎えた株式会社スマイディアは、地域の頼れる広告代理店として、お客様の課題解決や事業拡大に取り組んでいます。「クリエイティビティですべての人を笑顔に」を掲げ、今年は社名を新たに、心機一転スタートを切りました。

当社は、田舎町の小さなアクセサリーショップからはじまり、印刷会社、広告代理店へと事業転換、2023年には新たに農業事業を開始しています。

このストーリーでは、昭和から令和の現在まで、めまぐるしい社会の変化と共に改革を続けてきた歴史と、創業以来、当社が守り続けた「想い」をご紹介いたします。

印刷業の始まりは店舗の片隅


1979年に、石光孝美(現会長)が、キャラクター雑貨や文具を扱う「ファンシーショップひまわり」をはじめました。当時はまだ、印刷事業は行っていませんでしたが、1970年代後半から1990年代にかけて、高度経済成長期とともに印刷業の需要増加を受け、成長産業であったことも後押しとなって、印刷業に参加することを決めました。ファンシーショップの傍ら、店舗の一部を使って活版印刷を開始したのがスマイディアの始まりです。

※活版印刷…16世紀頃から日本で広がったハンコやスタンプのような原始的な印刷方法

ファンシーショップひまわり(写っているのは幼い頃の石光堅太郎(現社長))

印刷業を主力事業へ転換。「お客様のために全力を尽くす」ポリシーの確立。

活版印刷を開始した当初は、名刺などの小さな印刷を主流に行っていました。その後、本社所在地である栗東市から広報の仕事を受けたことをきっかけに、「スマイ印刷工業」として、印刷業を主力事業とする方向に舵を切りました。

事業転換してすぐの頃は、あまりに多くの仕事をお受けしたため、あろうことか、納期を3カ月も超えてお納めしたこともあります。なかには、今までに経験がない、かなり難しい依頼もありました。しかし、どんな依頼に対しても「とにかく何とかします!」と対応することで、お客様との信頼関係を築いていきました。

やがて、地域に根差した印刷会社として認知されるようになり、現在では栗東市以外の地域からもご依頼いただき、街の顔である行政の広報紙を任せていただくようになりました。

この、創業以来培ってきた、お客様のために全力を尽くす姿勢は、現在のスマイディアまで続くポリシーとなっています。

事務所設立当初の様子(手前に現副会長、奥に現常務)

今でこそ、スマイディアはポスターやパンフレット、パッケージやWEB、ノベルティなど社内でデザインしていますが、設立当時は、デザイン部署は無く、印刷事業のみを行っていました。

そのため、外部の方に依頼してデザインしてもらっていましたが、1998年ごろから社内にデザイン部署を設立。本格的にデザイン分野の仕事も受けるようになりました。

デザインといえば、当社は2度、企業ロゴを変更しています。創業から2010年まで使われた最初のロゴは、滋賀県の象徴である「びわ湖」を表す六角形に、デザイン・企画をイメージした鉛筆が重なった形をしています。これは、滋賀県内で最もデザイン力のある会社を目指すという意味を込めたものでした。

創業当時のロゴ

2000年頃の印刷工場の様子

事業成長と共に活動拠点も拡大。会社のリブランディングにも挑戦。

2005年には、現社長である石光堅太郎が取締役に就任します。

石光は、大学卒業後、東京の企業に勤めていたときから経営を志していましたが、自身の結婚を機に滋賀へと戻りました。スマイ印刷工業の経営に携わったのち、自分の会社を立ち上げようと考えたのです。

嬉しい事に、石光が滋賀へ戻ってからも、東京で関わりのあった方々から業務をご依頼いただくようになり、後に東京事業所を開設するという活動拠点の拡大にいたりました。

2008年からは、管理システムの導入による効率改善や、ドイツから買い付けた新しいUV印刷機の設置、その稼働工場として甲賀水口ファクトリーを建築するなどの改革を行いました。

そして、新工場の設立に伴って、会社のイメージを一新する目的で企業ロゴを変更しました。鮮やかなスマイイエローの正方形に、SUMAIと書かれた印象的なロゴです。

この黄色は、スマイディアの原点である「ファンシーショップひまわり」にちなんで選ばれました。

水口ファクトリー竣工時の記念写真

さらに新工場設立の翌年、2013年には石光堅太郎が社長に就任し、「株式会社スマイ印刷工業」は新しく歩み始めました。

社長として試行錯誤する中で、石光は次第にスマイ印刷工業を、働いている人たちのための会社にしたいと思うようになりました。社員がお客様のために全力を出すには、安心して仕事に集中できる環境である必要があると考えたからです。

「ひとつの大きな家族のように、社員が安心して過ごせる会社を作る」。石光の目標が決まりました。

コロナ禍を経て、きくらげ栽培という新しい挑戦へ。

コロナ禍では、マスク、消毒液など感染予防グッズが品薄状態なったことを受け、関連商品の物販を開始しました。世の中に不安が渦巻くなか、お客様や従業員への販売を行い、多くの人に喜んでもらうことが出来ました。印刷というジャンルにこだわらず、お困りごとの解決という軸で、サービスを行ってきました。

また、コロナ禍に伴って、社会は一気にデジタル化が加速。そのため、お客様のお困りごとも様変わりしました。WEB集客や動画、SNS運用など、印刷物以外のご要望が増えていきました。

そんななか、スマイディア自身も、印刷業界を取り巻く環境の大きな変化に伴う、印刷物の市場縮小に備えて、経営を安定化させるという大きな課題に直面していました。その中で経営を安定化し続けるために、中期事業計画を立案し、そしてまた新しい事業領域に挑戦することが必要でした。

新規事業については、「既存事業とはまったく異なる市場」「長く続けられる事業」の2つの軸で考えました。これからの長寿社会、健康や食の安全に対する意識が一層高まると予測し、きくらげの栽培に着目。その結果、きくらげ栽培に必要な「技術」「場所」「人」の3つの要素が、私たちの事業との相性が最適であることが分かったのです。

初キノコの栽培に欠かせない温度・湿度管理に、印刷事業で培ったノウハウが活かせること、移転により空いた工場の空きスペースが活用できることに目を付けました。

そして、キノコの栽培・収穫作業は負担が少なく、定年退職後の社員が継続して働ける環境が用意できること。これらが大きな決め手となりました。

そして、事業を始めるにあたり、金融機関から指導いただける企業の経営者の方をご紹介いただき、そのご縁もあって新しいチャレンジをすることを決意しました。

きくらげは、初年度の出荷は7トンを目指し、2年以内に栽培面積を2倍にする計画をしています。今後は飲食店への販売や、自社ショッピングサイトにて加工品等を販売する予定です。

きくらげは栄養価も高く、食物繊維・ビタミンDが豊富なため、子ども食堂への寄付も決まっています。きくらげ事業は営利目的だけでなく、地域へ貢献できる新たなサービスとして、今後も発展させたいと考えています。

社名とロゴを変更しても、何があっても変わらない「株式会社スマイディア」の今後

当社がこだわるべきことは「印刷業である」ことではなく、「お客様のお困りごとを解決する」ことであると就任当初より考えていた石光は、コロナ禍を経て皆の意識がそろったことを確信し、印刷業より多くの手段を提案できる広告代理業として歩んでいくことを決意しました。

そして、社員全員が会社の変化を実感し、同じ方向へ向かう後押しとするため、2023年、社名とロゴを一新しました。

新社名とロゴは、『社員全員で気持ちをひとつにして決めたい』という石光の意向で、全社員から意見やアイデアを集めて議論を重ね、約1年かけて完成しました。

柔軟性と進化を表現した新しいロゴ

きくらげ事業という新しい取り組みや、社名およびロゴの変更など、短期間の間に多くの変化がありました。

しかし、お客様のために全力を尽くすという想いは今も昔も変わっていません。

「クリエイティビティですべての人を笑顔に」を理念に掲げ、『お客様の課題解決を一番に考える』というポリシーのもと、今後もお客様の課題に最適な解決方法をご提案していきます。

大切な人たちと共に笑顔あふれる社会の実現を目指して、これからもまっすぐに進んでまいります。

株式会社スマイディア

http://sumaidia.jp

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